そのまんまレモン

日々のこと。表には出せないそのまんまの自分のこと。

本当の気持ち。「書きたい」という気持ち。

本当は、私は「書く人」になりたいのです。

ずっと書き続けていられれば、それでいいのです。

書くことが好きで、ずっと書いていたい。

ではいわゆる作家になりたいのかというと、必ずしも「作家」という括りじゃなくてもいい、気はする。作家というと、本をいっぱい書いて出版して、それが店頭に並んで、買ってもらう人、みたいなイメージだけれど、今の私にはまだそこまでの明確な願望はない。いやもちろん、自分の本が出版されて書店の店頭に置かれて買ってもらえるなんてことになればもちろん嬉しいに決まっているけれど。

でも、そこを目指す前に、私はまず、気兼ねなく、いつまでも文章を書ける状態にありたい。たとえばこの裏ブログだってそうだし、表に晒しているブログもそうだし、場所はどこのSNSでもいいし、手元のノートだっていいし(でも私の場合、手書きだと自分が書きたいことを書き出すスピードが追いつかないから、パソコンでのタイピングの方がいい)、とにかく文章を紡いでいたい。

ある意味、今はそれができているとも言えるのだけど。今私は子育て中の専業主婦で、子どもたちのあれこれや日々の家事やら買い物やらはやらなければいけないけれど、それ以外の時間は比較的自由に使えている。だから、その合間に書いている。(ただぐうたらしてしまう岳のときもあるけど)

でも、今ソワソワしているのは、やっぱり子どもたちが大きくなるにつれての経済状況とか老後とかのことを考えたら、もう少し今のうちに外に出て働いておいたほうがいいんじゃないかということ。

でも、本当の本当は、外に出て働きたくなんかない。
私はずっと書いていたい。
外に出たらきっと書く時間が減ってしまうし、疲れて書くための気力もなくなるかも、と思う。

だから、本当はただ個人的に書いているだけでもいいくらいなのだけど、先ほど書いた経済状況を踏まえて働かなければいけないなら、どうせ働くなら、「書く」ことを仕事にできないだろうかと、思ったりする。

そう、作家になって有名になりたい!とかそういうことではなく、どうしても働かなければならないのなら、「書く」ことを仕事にしたい。ずっと書いていたいから、書くことが仕事になれば、ずっと書いていられるじゃないか、と単純な考え。

でも世の中、なかなか「書く」仕事に就くのは難しい。いや正確には、書く仕事で生活に十分なお金を得て稼ぐということは難しい。

ちなみに私は「書く」と言っても、オンライン記事を書いたりする商業ライターになりたいわけではない。そうではなくて、やっぱりエッセイとか、物語とか、いわゆる文芸における「書く」をしたい。商業ライターなら、もちろん簡単になれるとは思わないけれど、もしかしたら少しずつやっていけばいずれ生活できるレベルくらいまでは稼げるようになるのかもしれないけれど、文芸の道で書いて食べていけるようになるのはそもそも相当難しいだろう。

最近は自分で書く作業、印刷、販売までする自主制作本も少し流行っていたりするけれど、そしてそれは確かに、「書く」という欲求やそれを実際に本という形にするという欲求は満たしてくれて、場合によってはそれをさらにどこかで売って販売して、自分の書いたものでお金を得るという経験ができる、という点においては、単純にとても楽しいしやりがいもある流れだと思うのだけど(実際に私も一度やってみて、それはそれで楽しかった)、以前として、そのやり方だって、やはり余程の人気が出たり有名にでもならないと、その活動だけで食べていくのは難しいだろう。

一方で、そういった自主制作本で注目されて、その後商業出版への道が繋がり、世間でも「作家」と呼ばれる存在になり、書店に本が並び、大ヒットしている、という人も、いなくはない。正直、その流れはとても羨ましい。と同時に、希望を見せてくれてもいるけれど、一方で卑屈な私は、どうせそんなふうに成功できる人はほんの一部だろう、と思っている。あぁ、羨ましい。思い浮かぶ人たちが何人かいるのだけど、本当に嫉妬爆発羨ましすぎる!皆さん素晴らしい作家だし、素晴らしい本を出しているので、彼らのことが嫌いとか恨めしいということではなく、単純にひたすら羨ましい。羨望。私もあんなふうになれたらいいのに…。

そんなこんなで、でも結局まだ、文芸の道は諦めて外に出て再就職するぞ!とは踏み切れないし、とはいえ、私は何がなんでも作家になってやる!と心に決めきれない中途半端な自分。作家を夢見るなんて馬鹿らしい。どうせ無理。それこそもっと小さい頃、小学生の頃から作家になりたいと思った自分がいたけれど、大人になればなるほど、その難しさ、「無理だろ」という思いが私を締めつける。

だったらもう潔く諦めればいいのに‥!それでも、私は「書く」ことを捨てられない。いや、書くこと自体は捨てなくていいのだけど、好きなだけ書いていいと思っているのだけど、でもそれを職業にできたら…いや、きちんとした職業ではなくても、せめて少し生活の足しになるくらい稼げたら…

この前自主制作本を作って販売してみたときは、まだ少し在庫が残っているけれど、現時点では制作費と売上金がトントンで、赤字にはなっていないけれど、ちょうど元が取れたくらい。この活動で稼ぐにはほど遠い。

それでも、やっぱり私はまだ、諦めきれないから、今目の前に「書く」ということがあるから、結局また今日もこうして書いているのだ。再就職どうしよう、お金の心配をせずに、書いて暮らしていけたらいいのに、と今日も思っている。

少なくとも今の私ができることは、書きたいのだから、書くこと。

書くことは、パソコン一台あればいつでもできる。

ぐずぐず考えて心が揺れているなら、せめてその心情をネタの一つにでもして文章を書こうと、こうして裏ブログも書いている。

社会の中で生活していきながら自分の本当にやりたいことをやるって、困難を感じることもあるよね…。

それでもみんな、日々頑張って生きている。

私たち、エライ…!

そして、そんな中でも、やっぱりやりたいこと、自分の胸の奥できらめていているものは、無視したくない。諦めたくない。諦めちゃいけない。

今日も私はとりあえず書く。悩んでいても書く。
書き続けた先には、また何か予想もつかなかった景色もあるかもしれない。
いや、なかったとしても、結局私は書き続けるしかないのです。

書くことが好きだから。

 

 

再び社会に出ることが怖い、という気持ち。

今日、夫となんとなく今後の人生の話になり、そこから派生して、私の仕事の話になった。

私は現在専業主婦で、夫に養ってもらっている立場だ。小学生の子どもが二人いる。夫はものすごく稼ぎがある高給取り、というほどではない。でも、このご時世で私が専業主婦をやらせてもらえていて、贅沢はしないけれどとりあえず日々の生活に困ることなく過ごせているのはなんともありがたいことだと思う。

私は新卒で当時そこそこ大手の企業に入社して、出産を機に退職をした。長男が今年で12歳になるので、もうかれこれ12年以上前のことだ。それ以来、一般企業へのお勤めはしていないということになる。

一方で、12年間一切仕事はせずに子育てだけに専念してきたかというと、実は微妙に違う。今から5年ほど前、私はひょんなきっかけから、一時個人事業を展開していたのだ。個人でオンライン講座を開いたり、コミュニティ運営をしたり。その過程でちょうどコロナ流行に直面したこともあり、オンラインで行う私の事業はいい具合に世間の需要に合い、一時期はかなりいい売り上げを収めた。


それでもあるとき、もうやりたいことはやりきったな、という感覚があり、個人事業の展開はどんどん縮小して、今では廃業状態。

社会に出て一般企業で働いた経験は約4年ほど。それももう10年以上前のことで、その後個人事業を展開して仕事をしたけれど、就業経験としてはちょっと特殊な経験になる。

そんな私が、今30代後半にさしかかって、仕事に復帰するということを考えたとき、なかなか一筋縄ではいかない。

まず我が家の基本の状態として、いまだに少々手のかかる子どもが二人いるため(持病の兼ね合いなど)、フルタイムや時短で家を長時間開けて復帰するのは少し無理があり現実的ではない。実は今年のはじめに短期の販売業アルバイトに出てみたことがあったのだけど、その時も一時子どもが体調を崩して、対応が大変だった。そのときは幸運にも夫が在宅勤務が多い時期だったので、夫に子どもをお願いしながら外で仕事ができたけれど、在宅勤務が少なくなった今の夫にはそこまで私のフォローはできないので、やはり今の私が長時間外で働くのは難しそうだ。

ならば在宅勤務の仕事がいいのではないか。これまでもその結論に至り、なんとなくアルバイトサイト、転職サイトを見て回ってみたことはあるけれど、なかなか条件の合う仕事が見つからなかった。

ちなみに私はここまできて、もはや今から新たにいいキャリアを築いていきたい、などというキャリア形成の野望は一切ない。働きに出ようかと考える目的としては、今のうちに少しでも働いて、自分が自由に使えるお金を稼いだり、もっと先の未来を見据えて、隙間時間に蓄えを少しでも増やせたらいいという、あくまでも経済的な面で働くことを検討している。だからやり甲斐とかもあまり求めていない。あまりにしんどい仕事は嫌だけれど。

とにかくそんなこんなで自分の今の条件を踏まえながら、とりあえずネットの求人を色々見ていたこの週末。ふと、自分がこれまで気づかなかった自分の感情に気づいた。

私は、再び社会に出て、どこかの会社に所属して働くということに不安を感じている、怖がっているということ。

何しろもう、最後に外で働いてから、15年以上のブランクがあるのだ。あれから社会も発展して、いろんなことが進化ししたり変化している。そんな場所にいざ就職できて戻れたとして、うまくやっていけるのだろうか、という不安が自分の中にある。(いやそもそも30代後半での再就職自体がかなりハードル高いだろうと思うけれど)

以前勤めていたときは、私は一応海外在住経験があり英語のスキルを持っていたりもしたけれど、今や何年もずっと使わずにきたから、きっとそのスキルも衰えているに違いない。そうなると、英語を自分の能力として履歴書に載せることすら恐ろしくてやりたくない。英語ができる人として認識されたとして、その期待に見合うほどの自分の能力がいまだに自分にあるのかが不安だし、なかったときに失望されるのも嫌だし、企業にも申し訳ない。

そう、今、自分のスキルや基本的な社会人として働く能力が自分にどれほどあるのかわからない。自分でわからないことが、怖い。再就職するときには、きっと自分のこれまでの経験やスキルや能力をアピールしなければならないのに、アピールできないし、することが怖い。

再就職できるかどうかの前に、自分に再び外に出て他の社会人の皆さんと働くことに対する恐怖と不安があることに気づいた。

実際にところ自分にどれほどのスキルや能力があるかは置いておいて、それを計ることができないし、そもそも潜在的にスキルや能力があったとしても、もはや社会からのブランクが長すぎて、再び前線に出ることに自信も持てないし腰が重い。

でもきっと、こういう女性って、私の世代には多いと思うんだ…

私の世代は、ちょうど社会においてのいろんな側面においての切り替えの時期、その過渡期を生きているのだと思う。もう少し前、私の親の世代だったら、まだまだ夫が一家の大黒柱で妻は専業主婦、というのも珍しいことではなかったと思う。逆に、私の一つ下の世代くらいになると、就職難だったり、社会の経済が下降のする一方で、家庭を持つのなら基本夫婦共働きでなければやっていけない現状と不安があり、そもそも専業主婦という存在がレアなのではないかと思う(一部富裕層は知らんけど)。私の世代が、ちょうど過渡期。私みたいに、結婚や出産を機に、一度就職した会社は辞めて専業主婦になったけれど、世の中の経済がどんどん不安的になっていく中で、再び働かなければまずいのではないか、という状況になってきて、まさに今の私のように、再就職を考えてみるのだけど、あまりに社会でのブランクが長すぎて、自分の状態にあった条件の職場が見つからないとか、そんな状態。

一番中途半端で、見極めが難しい世代なのかもしれない。

そんなこんなで、今日は再就職の検討をしてみたものの、実は心の底では社会復帰に(たとえそれができたとしても)かなり不安がある、という自分の気持ちに今さらながら気づいた、という話でした。

仕事のこと、どうなることやら。
まだ焦る必要はないけれど、こうやって私の生活に一つのトピックとして上がってきたということは、今こそ考えどきなのだろうと思う。


また少しずつ、考えていこう…!

大丈夫でありたいし、きっと、大丈夫。

今日久々に父に会った。

父は我が家からバスと電車を乗り継いで一時間かからないくらいのマンションに一人暮らしをしている。母は何年も前に病気で亡くなっているので、それ以来父はずっと一人暮らしだ。

なかなかカツカツで暮らしている父の経済状況と体調などを確認しに顔を見にいった。カツカツなのは自業自得なところがある。これまでの道のりを思えば、もう少し計画的に生きて欲しかったと思うのだけど、今さら何を言っても仕方ないし、でもそれを私も無理に全部受け入れなくてもいいと思っているし、とにかく、父だって、私だって、今目の前にある日々の中でできることを一つ一つやっていくしかない。

今日は父に目玉焼きの作り方を教えた。目玉焼きなど、「教える」というほどのことでもない。熱して油を引いたフライパンの上に、卵を割って中身を放つだけだ。でも、父はそのやり方がわからなかった。これまで一切料理などしてこなかった人だから、私にとってはそんなこともわからないのかと驚くようなことではない。むしろ、あぁ、そうか、知らないんだね、知らないかもしれないね、そうだね、という感じ。母が生きていた時代、仕事で滅多に家には帰ってこなくて、帰ってきても料理含めて家事はすべて母が担っていた。典型的な一昔前の亭主関白的な父だった。今はその点だいぶ丸くなったけれど。何しろ自分で目玉焼きを作ろうとしているのだ。そうやって自分でやろうとする試み、いいと思う。

父の前で目玉焼きを作って見せることになった。ハムも足してハムエッグにしたいというので、ハム二枚と一緒に卵を焼いた。ひっそりハムをリクエストしてくるところがちょっと可愛いと思った。彼に対して思うところはたくさんあるのだけど、なんだか最終的には憎みきれないところがあるのが、彼のすごいところだなと思う。フライパンの中に卵を割って見せると、おぉ、目玉焼きだ、これが食べたかったんだ、と言っていた。父の食のバリエーションが増えてよかった。

その後、目玉焼きを作った流れから、フライパンの蓋がなくて少し不便を感じているという話になった。そういえば数ヶ月前にここの引っ越してきた時も蓋がないと言っていた。いい機会なので、駅前のスーパーにフライパンの蓋を買いに行くことにした。出発前に定規でフライパンの大きさを測っていった。

駅前のスーパーのキッチン用品売り場に行ったら、ちょうどいい大きさの蓋がなくて、その後別の階にある雑貨屋さんのキッチン用品コーナーでちょうどいいものを見つけた。蓋は私が買ってあげた。それからなんとなく食料品売り場に降りると、きゅうりを前にして父が「きゅうりってどう食べたらいいんだ」と質問してきた。以前きゅうりを買って家で食べようとして、そのまま食べたら硬くて美味しくなかったと言う。きゅうりは確かに洗えばそのまま食べることもできるけれど、硬いと感じるなら少し皮を剥けばいいんだよ、と教える。そうなのかぁと感心する父。そんな父、包丁で器用にきゅうりの皮を剥くのは難しそうだなと思い、あとで近くの100円ショップでピーラーを買っていくことにした。スーパーではデモンストレーション用のきゅうり一本、大学芋、わらび餅を買った。不思議なチョイスだけど、今日は父の好きなものを買ってあげようと思っていたから買った。

その後ピーラーを無事ゲットして父の自宅に戻る。そこで、きゅうりを洗って、ピーラーで剥いて見せた。父はピーラーにも慣れていない。父にも練習でピーラーを使わせてみせると、慣れない手つきで頑張っていた。なんだか、子どもに教えるみたいだな、と思った。父は素直に学んでくれるので、その点は教え甲斐がある。皮が薄くなったきゅうりを見て満足そうだった父。これに買っておいたマヨネーズをつけて食べるという。

きゅうりの剥き方まで教えたところで、私はそろそろお暇することにした。そろそろ帰らないと子どもたちが学校から帰ってくる。父はマンションの下まで送ってくれた。「ありがとう、頼むな」と片手を上げて見送られた。いやマジで、こちらこそいろいろ頼むよ。

朝から何も食べていなかった私。お昼ご飯を食べたいところだけど、食べるならもっと地元に帰ってからにしたかった。早く自分の馴染みの地に帰りたいと思った。自分の地元の駅、自分が普段生活する地域に。それから電車に乗って、バスに乗って、無事地元の駅まで戻ってきた。帰宅中、なんだか異様にハンバーグが食べたくなっていたので、地元の駅のファミレスで食べて行こうかとも思ったのだけど、バスを降りてちょうど見上げたところにあるファミレスは、お昼過ぎの時間帯のせいで外から見てもほぼ満席なのがわかった。子どもたちが帰ってくるし、あまりレストランの席の順番を待つほどの気力もなかったので、ファミレスは諦めた。

仕方なく、ハンバーグは帰宅途中にあるコンビニで買うことにした。今どきコンビニのハンバーグも結構美味しいものがある。と、その前に、今日父のケアを頑張った自分へのご褒美に、ミスドに寄ってドーナツも買って帰ることにした。最近出た新作、「白いポンデリング」を数日前に食べてみたら美味しくて気に入ったので、リピートで買うことにした。今日は在宅勤務中の夫にもハニーディップを買ってあげる。

帰り途中にセブンイレブンに寄って惣菜コーナーを覗くと、なんとハンバーグだけでも6種類くらいの商品が並んでいた。価格別に分けると大体三段階あって、一番高い「金のハンバーグ」が約500円、次に容器に入ったタイプのハンバーグが約300円、そして、一番簡易的なパッケージに入ったハンバーグが150円。一瞬迷ったけれど、コンビニのハンバーグに500円出すくらいならレストランで食べたいな、ということでそれは却下。そして、150円のハンバーグだと今はなんとなく満足できない気がして、間をとって300円のものを買って帰った。

帰ったら夫が「おかえりー」と声をかけてくれた。「ただいまー」と返す私。おかえりと言ってもらえる場所がある、ただいまと言える場所があること。ホッとできる場所があること。自分の家がホッとできる場所であること。それが嬉しかった。

ハンバーグと冷凍していたご飯をそれぞれ電子レンジで温めてから食べた。無事にハンバーグがいい感じに私のそのときの「ハンバーグ欲」を満たしてくれて、ご飯と一緒に食べたら満足なお昼ご飯になった。その後、まだ少しお腹が空いていたので、ドーナツも食べてしまうことにした。夫にも声をかけて、一緒にドーナツを頬張った。

大丈夫、私はちゃんと幸せだ。幸せを感じられる私だ。人生いろいろあるけれど、自分の家で、ハンバーグを食べて、ドーナツを食べて、あぁ幸せーと思える。そういう瞬間がちゃんとある。それは、とてもありがたいことだ。幸せだと感じられることにホッとする。一瞬でも、小さくても、幸せだと感じられるなら、私はまだ大丈夫だ。どんなにしんどくても、その、一瞬で、小さくて、見逃してしまいそうな「幸せ」を、私はちゃんと見ていこう。そうしたら、きっと、大丈夫。私は、大丈夫。

無理矢理にそう思おうとしているわけではなくて、

ただ、本当にそうだと、気づくだけなんだ。

病院の待合室にて。みんなを、今を感じながら。

今日は先日の長男の痙攣の経過観察のため、近所の総合病院の小児科に行ってきた。

この裏ブログとは別の表ブログでは長男の痙攣のことは明かしていないので、この受診のことも書けない。なのでひとまずこちらの裏ブログに書いていこうと思う。

朝9時半からの予約だったので、次男はいつも通り学校に送り出し、長男は学校はお休みすることにした。

病院はたまたま我が家から徒歩5分とかからない距離にある。大きい病院が家の近くにあるので、日頃からそこを出入りする救急車の音がよく聞こえてきたりする。数年前、この家に引っ越してくることを検討していたとき、大きい病院が近くにあることを知り、日中はともかく真夜中などに救急車の音が気にならないだろうか、というのが気になって、当時の家の持ち主に聞いてみたことを覚えている。すると、部屋の内覧に来た私と夫に、当時の家の持ち主は「まぁー慣れです」と穏やかに微笑んだ。結局、その後この家に越してきたわけだけれど、確かに慣れだなと思う。今でも救急車はやっぱりそこそこ行き来しているし、サイレンが聞こえてくるときもあるけれど、それが気になって日常生活が不便とか、夜寝れないなんてことはまったくない。引っ越してきてから数年、やはり我が家もすっかり慣れてしまったようだ。

時間通りに病院の受付に辿り着く。先日は急遽救急外来へ駆け込む形だったので、今日は改めて小児科のほうでカルテ用の受診票を書くことになった。これまで受けてきた予防接種の種類を答える欄があって、受けたものには丸をしていくかたちだったのだけど、もはや12歳になった長男が小さいときになんの予防接種を受けたかなどほぼ覚えていなくて、持ってくるように言われていた母子手帳をめくりめくり、該当の接種名を丸していった。その作業がとても細かくて、なんとも面倒だった。

カルテを提出すると、「看護士さんが来るまでお待ちくださいねー」と言われて、待合室でしばらく待つことに。10分も経たないうちに看護士さんが現在の様子を聞きにきてくれた。体重や身長を測ったり、血中酸素濃度や血圧を調べたり。実は、来てくれた看護師さんが初老の男性だったことに一瞬驚いた。そしてその自分の驚く反応を俯瞰して見たときに、あぁ、私の中には「看護士=女性」という思い込み、というかイメージが知らぬ間にあるのだなぁ、なんてことを思う。髪にもあご髭にも少し白髪が混じったその初老の看護士さんはとても優しいおじちゃん、といった風情で、こちらは気持ちよく問診を受けることができた。素敵な看護士さんだった。

看護士の問診が済むと、さらに待合室の奥に進んだところで、診察室に呼ばれるのを待つ。

実はこの総合病院の小児科は、私にとっては非常に馴染みのある場所だ。小さい頃の次男が喘息を患ってこの病院に二度入院し、その後の経過観察ということで何年にも渡って定期的にこの小児科に通っていたことがあるのだ。今はすっかり元気になって経過観察期間も無事終了したのだけど、当時まだ小さい次男を連れてこの待合室で診察の順番待ちをした日々が不意に蘇ってくる。総合病院で受診者人数も多いから、例え予約をとっていたとしても、下手すると二時間ほど待つようなときもあった。次男が退屈してしまわないように絵本やらおもちゃやらお菓子やらエンターテインするものをママバッグに多数詰め込んで待機したあの待合室での日々。公共の場で次男が泣かないように騒がないように、と気を張って頑張っていた当時の私。そんなことを思い出した。

そんな思い出があったので、今日も結構待たされる覚悟だったのだけど、意外にも10分ほどで名前を呼ばれ、診察室に入ることができた。はじめましての先生に改めて先日の痙攣の様子を報告する。先日の救急で既にCTと血液検査はやっていて、そこに異常はなかったので、結局今後はとりあえず様子見で経過観察をする方向でやっていきましょうとのこと。まだ一回の痙攣なので、さらに詳しい脳波の検査や投薬が必要かどうかは判断できないとのこと。話を聞きながら、そりゃそうだよなぁ、と思う。

実は、我が家にすごく近しい子どもたちの小学校のお友達が、偶然にも昨年頃てんかんと診断されていて、日頃から私のママ友でもあるその友達のお母さんとの間で子どものてんかんの話題もちょくちょく出ていた。そして、一昨日長男が人生初の痙攣を起こした際にも、真っ先にそのママ友のことが思い浮かび、慌てて連絡をとらせてもらって、ある程度痙攣やてんかん発作を起こした場合のその後の流れなどを取り急ぎLINEで聞かせてもらっていたのだ。だから、今日の医者の見解もある程度予想通りという感じだった。長男が痙攣を起こしたこと自体はものすごく驚いたし怖かったしいまだに不安もあるけれど、すごく近しいところに前例というか経験者がいることが、私にとってはひっそりと心の支えになっている気がする。いざとなったときにすぐに痙攣についての話が通じて相談できる相手がいるというのはなんとも心強い。

結局その日は問診だけで終わり、(嫌だけれど)また痙攣発作が起きたときには受診してくくださいとのことだった。痙攣というのは脳が興奮したときに起きるようなもので、もしかしたら今回単発で終わるかもしれないし、また発作が起きるかもしれないし、それはわからないとのこと。我が家のお友達はまさにてんかんを発症して服薬まで進んだパターンだけれど、個人差があるのでうちの長男がどうなるかはわからない。

日々の生活でも特別気にしなければいけないこともないし、普段通り生活していいと言われた。結局のところ、様子を見るしかない。この先が何が起きるかはわからない。

でもこれって、結局、痙攣発作だけの話じゃないよなって思ったりする。この先また発作が起きるかもしれない。起きないかもしれない。起きるとしてもいつ起きるかはわからない。

これって人生なんでもそうだ。

結局、いつ何が起きるかわからない。次の瞬間、その日の夜、明日、一週間後、一ヶ月後、一年後、何が起きてどうなるかなんて誰にもわからない。

また発作が起きないかと心配に思う気持ちはもちろんゼロではないけれど、正直心配していようがいまいが、この先何が起きるかはわからないし、まだ起きていないことに対して今何かしようとしてもどうしようもない。

だから結局、私たちは目の前の今を見ながら、日々生活していくしかないんだ。
それでいいんだ、と思う。

今日、小児科の待合室で待っていながら、いろんな人を見かけた。

我が家の長男と同じくらいの小学生の女の子がランドセルを背負ってお母さんと待合室にいた。これから診察が終わったら学校に行くのだろうか。偉いな。(我が家はもう今日は休ませることにしちゃったので)

ベビーカーを引いたお母さん。座席は斜めではなく横向きになっていて高い位置にあったので、まだ小さい赤ちゃんがそこには入っているのだろう。そのお母さんが歩み寄ってきた看護士さんから「これから2階に行って心電図をとってきてもらって、それからまたここに戻ってきてください」と声をかけられているのを耳にした。小さい赤ちゃんが心電図を撮らなければいけないなんて、何か病気あるのだろうか。お母さんはきっと心配に違いない。お母さんとベビーカーを見ながら、その赤ちゃんとお母さんのために心の中で祈った。

2歳くらいの子どもを連れたご夫婦がいた。待合室に設置されている小さな本棚から絵本を選ぶのを補助している。

お父さんに抱き抱えられた1歳くらいの子どもが、待合室に入ってきたときからずっと泣き喚いている。お父さんはそれを必死になだめようと、スマホで動画を見せてあげたりしている。泣いてても全然大丈夫ですよ。我が家も小さいときはそうでした。小さい子ども。よくわからないところに連れてこられて不安だよね、つまらないよね、おうちに帰りたいよね、泣きたくなるよね、わかるわかる。

他の子どもよりだいぶ背の高い男の子。よほど発育のいい小学生か、恐らく中学生くらいなんじゃないだろうか。なんだか見た目だけだと「小児科」という場所に似つかわしくない彼は、待合室の椅子に座って、膝の上にノートパソコンを乗せて何か作業をしている。近くにはノートと教科書らしきものも置いてある。学校の課題でもやっているのだろうか。病院の待合室に来てまで偉いなぁと感心する。普通にその光景だけ見たら、何の問題もなさそうなただの学生さん。でも今この待合室にいるということは、きっと体のどこかに気がかりなことがあるのだろう。

みんなみんな、今の自分の状態を抱えて、それと向き合いながら、日々生活をしている。今はこうして待合室で診察を待っている。目の前のこと、一つ一つ、やっていく。

診察を終えてしばらく待っていると、お会計の指示があって、総合カウンターで会計をした。

病院の帰りに、コンビニに寄った。お昼を作るのが面倒くさかったので、レトルトのカレーを買った。長男は甘口、私は中辛。家に帰ったら冷凍ご飯のストックがなかったので、新たにご飯を炊いた。ご飯が炊き上がったらカレーを温めて、ご飯にかけた。そこに納豆もプラスする。私はカレーに納豆を添えて食べるのが好きだ。辛さが少しマイルドになるし、喉越しがよくなるのもいい。長男もいつの間にか私のその食べ方を気に入って、彼もカレーを食べるときは納豆は欠かせない。納豆をカレーにかけるのは我が家で私と長男だけだ。

二人で静かな部屋でカレーを食べる。通院もあってお腹が空いていた。

明日からは一応通常通り学校に行かせようと思う。でも明日は学校でプールの授業があるというので、それはさすがに痙攣症状が出た直後に参加させるのはやめようと思う。

そうやって、毎日、今日はどう過ごそう、どう対応しよう、と、一個ずつやっていくしかない。

グッと不安になる時もある。
でも絶望はしていない。

人生いろいろある。一つ一つやっていくしかない。

なるようになるさ。
その都度、目の前のことに真摯に向き合っていく。

きっと大丈夫。
大丈夫だと言える自分でありたい。

 

 

 

青天の霹靂…!身近な人のことをどこまで書くかの葛藤

私はこのブログとは別にもう一つ日々更新しているブログがある。

そこでは日々のことを日記のようなエッセイのような形でありのままに綴っている(でも中にはそのまま書いて晒すには躊躇する内容もあるので、そういった部分を書くためにこちらの裏ブログを最近始めた)。

昨日、表のブログに書くかどうか迷ったことがあった。

長男が突然痙攣して倒れたのだ。
自宅で家族それぞれまったり過ごしているとき、突然のことだった。

子どもによっては熱を出したときなどに高熱から引き起こされる熱性痙攣などの症状を体験する子もいると聞くけれど、我が家の長男はこれまで12年生きてきて一切そう言った経験もなく、本当に青天の霹靂とはこのことだ。

何が原因か、何がきっかけなのかまったくわからない。そのくらい突然のことだった。とりあえず痙攣が落ち着いたら、日曜日だったので近所の病院の救急外来に駆け込んだ(正確には夫が長男を連れていってくれた。次男を一人家に置いて行くわけにはいかなかったので、私は次男と待機した)。

とりあえずその場でできる検査を終えて帰ってきた長男と夫。またさらに詳しい検査を今週することになっている。まさかこんなことが突然起こるなんて。人生何が起きるかわからない。

それで、私はこの一件を表ブログに書くかを悩んでいる。いや正確には、やっぱりまだ書けないな、と思う。なぜなら、これは長男の体のことであって、プライベートなことであって、しかもまだこの先の経過や行く末もわからなくて、それを母親だからといって私が勝手に世に晒すのは良くないと思うのだ。

でも同時にそこには葛藤もあったりする。

私は普段から表ブログで自分が過ごす日々を文章で綴っている。そして私の生活のことを書くとなると、必然的に私の一番身近にいる家族のことに触れる機会(触れたい機会)も多い。これまで家族に関しては、夫のことも子どもたちのことも、写真や本名などは一切ネットには出さず、個人情報も出さないように気をつけてきた。家族のことを書くときも、やはり「ここまではいいけどこれ以上はちょっと…」という私なりのボーダーラインがある。基本的には、私と家族の間での出来事(または私と家族が関連する出来事)そのものについては書くし、私がそれに対してどう感じたか考えたかも書く。あくまでも「私から見た視点」を書いている。家族(に限らず他人)が本当は何を考え感じているかなんて、私にはわからないから、勝手な憶測や事実と言い切れないことは書かないようにしている。

それで、今回の痙攣の話だ。長男の痙攣は私の生活の中で目の前で起きたことであり、当然私はそれに動転し(とはいえ結構冷静に対応したなぁとあとから振り返って思うけれど)、その後対応し、その日は家族みんなでソワソワ不安や心配で落ち着かず、という一日を過ごした。

それは事実としてある。でも、その一連の我が家の様子を書くには、長男の痙攣のことを書かなければいけない。でも私は、長男の体のことや健康のことを大っぴらに書くことには躊躇がある。ただの風邪をひいて体調崩した、とか、そのレベルのことは別に全然書ける。実は先日家族揃ってコ○ナにかかって一家でダウンしたこともあったのだけど、それも、まぁ流行り病にかかってしまったということで、書き方は気をつけながらも表ブログに記録した。でも痙攣のことは、長男の個人的なことすぎて、少なくとも今の私はまだ書けない心境。

でもそうなると、その日のブログに私はなんと書こうか。何を書くか、どこまで書くか(もしくは書かないか)を迷う。痙攣のことは書かないとなると、もはやそれで家族がてんやわんやしたことも書かず、それに関連することはすべて省いてその一日のことを書くのか。もしくは痙攣とまでは書かず、「長男が体調不良になって」くらいの言い方でマイルドに書いてみるか。むしろ、その日はいっそブログを書くのをやめるか。

うむ、悩ましい。

というかこんなことで悩んでいられることは、実はありがたいことなのだけど。


昨日はまずは長男の安否が不安だった。初めての痙攣の様子に、なんとなく「生命」という言葉、その危うさが頭を掠めた。痙攣については知識が浅すぎて、まずはただ不安が大きかった。長男が痙攣を起こしたとき、そしてその直後、どうすればいいのか、これからどうなるのかと一瞬途方に暮れた。でも一通り診察を済ませてとりあえず無事に帰ってきたら、逆にあとはもうどうしようもないというか、これからまた痙攣が起きるのか起きないのかとかはわからないけれど、永遠にその起きるか起きないかわからないことのためにじっと待機しているわけにもいかない。日々は続いていくのだ。だから、心配や不安が一切ないわけではないけれど、生活は続けていくしかない。次の検査日は決まっているので、次のステップとしてはとりあえずその検査を受けにいく、それしかない。そんな中で、私は、いつもそうしているように、ブログ(表と裏両方)を、ただ生活の一部として書いているのだ。

書くことは私の一部であり、日常なのだ。

「どこまで書こう…」と悩むくらいなら、もうただ書くのをやめればいいじゃないかと思われるかもしれないけど、私は書かずにはいられない。書きたい。書くことが好きで、ずっと書いていたいのだ。でもだからこそ、やっぱり私自身のこと以外を書くとき、特に家族含め他人のことを書くときは、何をどこまで書くかは気をつけたいと思っている。そしてそれがいつも葛藤なのだ。

でもこの裏ブログがあったおかけで、この葛藤が書ける場所があることがありがたい。長男の痙攣のことも、素性を出していないここでならある程度書いてもプライバシーを晒すことにはならないから、こうやって書ける。

ここではそんな葛藤を書きながら、表ブログは表ブログでやっぱり書く。何をどこまでどう書こうかはまだ迷い中。

今日は長男は念のため学校をお休みしている。明日は病院で検査。毎日、目の前のことをただやっていくしかない。




 

 

表には晒せない私の自堕落デーのこと

今回は、ある6月某日の私の自堕落な一日について書こうと思う。

前回のブログ記事でも書いた通り、私はこのブログとは別にもう一つ別のブログをほぼ毎日書いていて、そちらでは本名で私という個人をそのまま晒して書いている。

そちらでも決して嘘を書いているわけではない。本当に起きたこと、考えたこと、感じたことを綴っているのだけど、数少ない知り合いもそれを読めてしまう環境においては、どうしても「いやーこれはさすがにここで書くのは躊躇するな…」ということがときどきある。

別に裏でものすごい悪いことをしているとか、それほど突飛な出来事を隠しているというわけではないのだけど、勝手に自分の中で「これを書くのはちょっと…」というハードルがあるもの。

人それぞれ、自分の何をどこまで公に晒せるか、そのボーダーラインというのは違うと思うのだけど、私の場合はどうかというと、「自堕落な自分」がそんなボーダーラインに引っかかるものの一つ。

要は、あまりに自堕落な自分を公に晒すのは躊躇してしまう。

それを晒すことの何に躊躇するのかと考えてみると、やっぱり自堕落な自分を晒すことによって、周りに幻滅されたり、責められたりすることが怖いのかなと思う。自堕落な自分に対して多かれ少なかれ罪悪感もある。

とは言っても、じゃあもう一つのブログ(表ブログ)のほうでは、そんな素敵な毎日を書き記しているのかというと、そんなことはない。結構地味な専業主婦のブログだ。朝起きて、子どもたちを学校の送り出し、家事を済ませ、食料品の買い物に出かけたり、所用を済ませて、夜家族のご飯を準備して。今日は子どもたちや夫との間でこんな会話をした、こんなことがあった、というごくごく普通のこと。そう、どこにでもいるような普通の主婦の毎日を綴っている。ある意味、日々平凡に、そこそこ堅実に生活しているのだと思う。

そんな中、ときどき、その堅実な日々に、急遽自堕落に過ごしたい日が訪れる。

子どもたちの朝ご飯を用意して学校へと送り出すところまではいつも通りやる。夫は既に朝早く出社していて、子どもたちが玄関を出た瞬間から、私は家で一人になる。自堕落スイッチが入った日には、そこから子どもたちが学校から帰ってくるまでの数時間、私の自堕落パラダイスタイムに突入する。

早速6月某日のある自堕落デーのことを書いてみよう。

まず子どもたちを送り出し、洗濯物だけは溜まるとあとが面倒くさいので、洗濯機を回して洗った洗濯物を干す作業は速攻やる。そのあとは普段の日なら家中に掃除機をかけたり、食料や日用品の買い出しに出かけたりするのだけど、自堕落デーはそんなことはしない。

洗濯を終えたら、まずはスマホを片手にソファに寝転ぶ。そこからひたすら一時間ほど(ときにはそれ以上)ひたすらただスマホをいじる。Twitterを見たり、インスタを見たり、TikTokを見たり、YouTubeを見たり、特に目的はなく画面をスクロールして過ごす。私は普段テレビは見ないのだけど、昔のぐうたら専業主婦の典型的な像としてよく描かれていたような、テレビでモーニングワイドショーをなんとなくぼんやり眺め続ける主婦の近代版みたいな感じだ。

ちなみに私はK-POPが大好きで、推しているグループもあるので、こういう時間で推しの出ているコンテンツを見る割合は比較的高い。夫が必死に会社で働き、子どもたちが学校で学習している間、ぐうたらソファに寝そべってスマホでアイドルを眺め続ける主婦。自堕落の極みだ。

さらにその後、お腹が空いてくると、この日はなぜか異様にポテトチップスが食べたくなり、家にはないので近くのコンビニに買いに行くことにした。ついでにアイスも何か買ってこようかな、なんて思う。食料品など本当に必要なものの買い物に行くのは億劫で今日は行かないくせに、自分のお菓子のためならコンビニにも迅速に向かう。

この日はWコンソメパンチという味のポテトチップスを買った。しょっぱいお菓子を買ったら、お口直しに甘いお菓子も欲しいじゃないか。ということでアイスコーナーを覗く。自分では稼いでいない専業主婦。100円くらいの安いアイスにすればいいのに、期間限定で出ている少し高級な抹茶アイスが目に入り、若干躊躇しながらも結局それを買う。なんと、税込370円。高っ。この値段を出せば、おにぎり3個くらい買える。というか100円のアイスが3個買える。でもだって、私が今食べたいのはこの抹茶アイスなんだもの。抹茶のアイスが濃厚で、下のコーンもサクサクで美味しいんだもの。とことん自分に甘い私。でも買っておきながら、やっぱり罪悪感はあるのだ。でもやっぱり買ってしまう、あぁ、自分勝手な私、なんて思う。(でも結局370円を買う私)。

自宅に帰ってきたら、早速ソファに戻り、ポテトチップスの袋を開けて、そのままそこから食べる。わざわざ皿に出したりしない。どうせ一袋くらいぺろっと食べてしまうのだから。片手で再びスマホをいじったりしながら、もしくは好きな本を読みながら、ひたすらポテチを貪り食う。あぁ美味しい。食べたくて食べているので、その瞬間は本当に幸せ。楽しい。嬉しい。好きな動画や本に楽しみながら、というところがまたいい。そして、じきにぺろっと一袋食べてしまう。とりあえずそこまですれば、ひとまず満足。

そしてこの日は、ポテチ完食後に早速アイスに直行した。しょっぱいもののあとの甘いもの、最高。お気に入りの抹茶アイスは求めていた通りの美味しさで、食べている間とても満たされる。ポテチから連続して好きなものを好き勝手に食べているその乱暴なまでの自由な行為にまた満たされる感がある。

食べ終わったら満足。あぁどちらも美味しかった。自分の食べたいものを食べたいだけ食べれるって幸せだ。このあとしばらくは引き続きスマホをいじったり本を読むこともあれば、お腹いっぱい食べたことでだんだんと眠気に襲われて瞼が下がってくることもある。この日はまさに睡魔がやってきたので、寝室に移動して、適当に布団を敷いてしばらく昼寝をした。窓から涼しい風が入りこむ快適な部屋の中で、食べたいものを食べまくった後、眠いから寝る。単純で、最高の過ごし方だ。食べてたら寝る、これまた自堕落の極み。

そこから一時間、長いともう少し寝ていることもあるけれど、なんだかんだで子どもたちが学校から帰ってくる時間になる。子どもたちが帰ってきたら、私の自堕落タイムは一旦終了する。私は自分の自堕落な様子を子どもたちには一切見せない。ポテチの袋もアイスの入れ物もしっかり抹消して子どもたちの目には入らないようにする。なぜそうするかというと、親としての威厳を保つため、というか‥いや、別に日頃から子どもたちの前で素晴らしい親として見てもらいたいとかそんな願望はないし、実際そんな素晴らしい親ではないのはわかっているし、そんな演出をしようとしているわけでもないのだけど…そうだな…どちらかというと、一日学校で頑張ってきた子どもたちに、自堕落に過ごした自分を若干申し訳なく感じたりする自分がいるのかもしれない。

あと単純に「えーママ、ポテチ食べたのー!アイス食べたのー!ずるいー!」とか指摘されるのが非常に面倒くさい。そう、面倒くささもものすごくある。しかもずるいと言われたら、むしろその通りでぐうの音も出ない。でもじゃあ、子どもたちにも同じようにポテチとアイスを買ってあげればいいじゃないかという話もあるが、我が家は日頃から子どもたちにはそんなにばかすかとジャンクフードを与えない。一切お菓子禁止とかではないけれど、量と頻度はある程度調整している。朝からひっそりポテチとアイス食べまくってるお前が何言ってんだという感じだけれど、私は、まぁもう大人だから、自分のことは自由に決めていいのです(←ひどい大人)。子どもたちも大人になったら自分のことは好きにすればいいけれど、まだ今のうちは、一応我が家の方針としては、そんな感じです、はい。

というわけで、私の自堕落タイムは子どもたちには(恐らく)バレていないのだけど、それにしても、一日学校で頑張って帰ってきた子どもたちを見ると、本当に改めて自分の自堕落さとの対比が凄まじく、改めて自分に引く。本当に、朝からひたすらお菓子食べてスマホ見ていたダメダメ主婦なんかより、重いランドセルを背負って朝早くに出発して、何時間も決められた場所に座って決められた授業を受けてきた子どもたちのほうがよっぽど立派で、人として素晴らしい。自堕落デーの私なんて、人として誇れることは何一つない。

ただ、私はそんな自分を責めるようなマインドは実はあまりなく、申し訳なさはあれど、もはや自堕落すぎる自分がちょっと笑えてくるくらいの感覚だ。私、どんだけ自堕落なんだよ、と呆れ笑い、みたいな。いや、笑い事ではないのだけど。でも、毎日こうなわけでもないから、たまには思いっきり自堕落になる自分を結構許しているところもある。

夜にはちゃんと家族の夜ご飯を作るし、仕事から疲れて帰ってきた夫をちゃんと労う。夫は私が日中どう過ごしていたかということは、日頃からあまり聞いてこないから、私もあえて言わないことも多い。まさか朝からソファに寝そべってポテチとアイスを食べていただけ、とは思っていないはずだ。

そんなわけで、私の自堕落デーを晒してみた。この自堕落の様子を、私はもう一つの表ブログには載せられない。知り合いに知られて「えぇ…超怠け者じゃん…最低…」なんて思われたらどうしよう、と思う。心から自堕落タイムを満喫して楽しんでいるくせに、でもやっぱり公には晒せない。

今回初めてこの裏ブログのほうで書くことができて、なんだか楽しかった。秘密を打ち明けているような感覚。

自堕落については、申し訳なさとか罪悪感はありつつ、「いけないことだからやめなきゃいけない」とか「こんな自分最低だ…」という気持ちはあまりない。いや、正確には、こんな自分は最低だと思う気持ちはあるのだけど、とはいえなんだかんだで、「でも、たまにはいいじゃん?」と思っている節がある(結局自分に甘いのだ)。

そんなわけで反省の色が見えないのだけど、とにかく、今までやったことのなかった「自堕落デーの晒し」をしてみたのでした。

自堕落、万歳(そうじゃない)


新しく裏ブログをはじめてみる

6月13日。火曜日。

今日、「裏ブログ」を始めてみようと思い、新たにこのブログを開設した。

実は私は、これとは別に、ほぼ毎日書いているブログがある。このブログとの区別がつきやすいように、そちらのことは「表ブログ」と記載しよう。その表ブログには日々のことを日記のようなエッセイのような形式でつらつらと綴っている。そこに書いていることは本当に私の日常で起きたことだし、嘘は書いていない。

ただ、その表ブログは私の本名のもとに発信されていて、つまり、それを読んでいる現実の知り合いがいたりする。そうすると、やはり多少なりとも人の目というものをどうしても気にして書いてしまうところがあったりする。

本当にあったことを書いている。嘘は書いていない。でも逆に、あえて書かないこともある。そんな感じ。その場に合わせて、それを読むかもしれない読者に合わせて、書くことを選んでいる節はある。書くこと、書かないことを選んでいる自分がいる。


それを悪いことは思わない。あえて書いていないことにも罪悪感などはない。その表ブログでは、私は私で心地よく書きたいことを書くために書いている。書くことは楽しい。私は書くことが好きで、それこそ書くことが日常となっている今は、何か書かないと落ち着かない感覚すらある。だから、今までずっと書いてきた表ブログも、私は好きだし、愛着がある。

でも少し前から気になっていたのは、その表ブログでは「書かない」と決めた事柄について。その書かないと決めたことも、確かに私に本当に起きたことであったり、本当に私が感じたこと考えたことがあったりする。表ブログには書かないと選択したけれど、それでも確かに存在するそれらは、どこへ行ってしまうのか。

これまでは、それは放っておいたというか、自分の中では存在することをわかっていながらも、それらをどうこうしようという気はあまり起きなかった。つまり、表ブログに書かないとk決めたものは、ただそうなだけで、それ以上でもそれ以下でもない、以上。それで自分の中で完結してきた。

でも今日ふと、一日を振り返ったときに、要はあまりに自堕落な自分を鑑みて、これは表ブログには書けない、でも、これはあまりに今の私すべてであって、何もせす見逃すのは惜しい、というか、表ブログには出せないけれど、強く存在する「私」や私の生活というものを、誰の目を気にするでもなくどこかに書き留められればいいのに、と思った。

そう、私は、やっぱり書きたいのだ。書くことが好きなのだ。私にとって、書くこととは息をするのに等しいくらいに、必要なことなのだ。でも、今日の私のことは、表ブログにさらっと書きたいと思えるものではなく、ならば、私のことを誰も知らない場所で、どうせ大して人に読まれないブログに、そう、新たにつくる裏ブログに、これを綴ってみてはどうかと思ったのだ。

一度思いついたら、すごくいいアイデアに思えた。誰の目も気にしない場所で、好き勝手に自分のことを書くのだ。表ブログだってだいぶ好き勝手に書いているのだけど、要は結局は、人からの視線を感じてしまって、カッコつけてしまうところが、やっぱりあるのかもしれない。

とにかく、ここなら、誰も私のことを知らない。もちろん本名も明かさない。こんな新たに書き始めたばかりのブログ、きっと大して読む人もいない。まるで虚空に文字をとばすように、目の前に真っ暗に広がる広い宇宙空間で、その片隅でまるで宇宙の塵のように取るに足らないちっぽけな存在の私が何を書こうと、誰にも何にも影響のないこの場所。

これからここで、表ブログには書けない日々のことを、ときに書いていこうと思う。同じ日に表ブログと裏ブログの両方を書くのも楽しそうだなと思っている。私という一人の人間が過ごした一日を、私は表ブログでは何を書くと決めて書き、裏ブログでは何を書くと決めて書くのか。それをいずれ読み返すのも楽しそう。そう、私が書くことを楽しいと感じるのは、書いている瞬間自体が楽しいだけでなく、それを読み返す楽しみが控えているというのもあると思う。

そんなわけで、ブログの名前は「そのまんま」レモン。

私のそのまんまのことを飾らず書いていく場所にしてみる。


楽しみ…!