そのまんまレモン

日々のこと。表には出せないそのまんまの自分のこと。

病院の待合室にて。みんなを、今を感じながら。

今日は先日の長男の痙攣の経過観察のため、近所の総合病院の小児科に行ってきた。

この裏ブログとは別の表ブログでは長男の痙攣のことは明かしていないので、この受診のことも書けない。なのでひとまずこちらの裏ブログに書いていこうと思う。

朝9時半からの予約だったので、次男はいつも通り学校に送り出し、長男は学校はお休みすることにした。

病院はたまたま我が家から徒歩5分とかからない距離にある。大きい病院が家の近くにあるので、日頃からそこを出入りする救急車の音がよく聞こえてきたりする。数年前、この家に引っ越してくることを検討していたとき、大きい病院が近くにあることを知り、日中はともかく真夜中などに救急車の音が気にならないだろうか、というのが気になって、当時の家の持ち主に聞いてみたことを覚えている。すると、部屋の内覧に来た私と夫に、当時の家の持ち主は「まぁー慣れです」と穏やかに微笑んだ。結局、その後この家に越してきたわけだけれど、確かに慣れだなと思う。今でも救急車はやっぱりそこそこ行き来しているし、サイレンが聞こえてくるときもあるけれど、それが気になって日常生活が不便とか、夜寝れないなんてことはまったくない。引っ越してきてから数年、やはり我が家もすっかり慣れてしまったようだ。

時間通りに病院の受付に辿り着く。先日は急遽救急外来へ駆け込む形だったので、今日は改めて小児科のほうでカルテ用の受診票を書くことになった。これまで受けてきた予防接種の種類を答える欄があって、受けたものには丸をしていくかたちだったのだけど、もはや12歳になった長男が小さいときになんの予防接種を受けたかなどほぼ覚えていなくて、持ってくるように言われていた母子手帳をめくりめくり、該当の接種名を丸していった。その作業がとても細かくて、なんとも面倒だった。

カルテを提出すると、「看護士さんが来るまでお待ちくださいねー」と言われて、待合室でしばらく待つことに。10分も経たないうちに看護士さんが現在の様子を聞きにきてくれた。体重や身長を測ったり、血中酸素濃度や血圧を調べたり。実は、来てくれた看護師さんが初老の男性だったことに一瞬驚いた。そしてその自分の驚く反応を俯瞰して見たときに、あぁ、私の中には「看護士=女性」という思い込み、というかイメージが知らぬ間にあるのだなぁ、なんてことを思う。髪にもあご髭にも少し白髪が混じったその初老の看護士さんはとても優しいおじちゃん、といった風情で、こちらは気持ちよく問診を受けることができた。素敵な看護士さんだった。

看護士の問診が済むと、さらに待合室の奥に進んだところで、診察室に呼ばれるのを待つ。

実はこの総合病院の小児科は、私にとっては非常に馴染みのある場所だ。小さい頃の次男が喘息を患ってこの病院に二度入院し、その後の経過観察ということで何年にも渡って定期的にこの小児科に通っていたことがあるのだ。今はすっかり元気になって経過観察期間も無事終了したのだけど、当時まだ小さい次男を連れてこの待合室で診察の順番待ちをした日々が不意に蘇ってくる。総合病院で受診者人数も多いから、例え予約をとっていたとしても、下手すると二時間ほど待つようなときもあった。次男が退屈してしまわないように絵本やらおもちゃやらお菓子やらエンターテインするものをママバッグに多数詰め込んで待機したあの待合室での日々。公共の場で次男が泣かないように騒がないように、と気を張って頑張っていた当時の私。そんなことを思い出した。

そんな思い出があったので、今日も結構待たされる覚悟だったのだけど、意外にも10分ほどで名前を呼ばれ、診察室に入ることができた。はじめましての先生に改めて先日の痙攣の様子を報告する。先日の救急で既にCTと血液検査はやっていて、そこに異常はなかったので、結局今後はとりあえず様子見で経過観察をする方向でやっていきましょうとのこと。まだ一回の痙攣なので、さらに詳しい脳波の検査や投薬が必要かどうかは判断できないとのこと。話を聞きながら、そりゃそうだよなぁ、と思う。

実は、我が家にすごく近しい子どもたちの小学校のお友達が、偶然にも昨年頃てんかんと診断されていて、日頃から私のママ友でもあるその友達のお母さんとの間で子どものてんかんの話題もちょくちょく出ていた。そして、一昨日長男が人生初の痙攣を起こした際にも、真っ先にそのママ友のことが思い浮かび、慌てて連絡をとらせてもらって、ある程度痙攣やてんかん発作を起こした場合のその後の流れなどを取り急ぎLINEで聞かせてもらっていたのだ。だから、今日の医者の見解もある程度予想通りという感じだった。長男が痙攣を起こしたこと自体はものすごく驚いたし怖かったしいまだに不安もあるけれど、すごく近しいところに前例というか経験者がいることが、私にとってはひっそりと心の支えになっている気がする。いざとなったときにすぐに痙攣についての話が通じて相談できる相手がいるというのはなんとも心強い。

結局その日は問診だけで終わり、(嫌だけれど)また痙攣発作が起きたときには受診してくくださいとのことだった。痙攣というのは脳が興奮したときに起きるようなもので、もしかしたら今回単発で終わるかもしれないし、また発作が起きるかもしれないし、それはわからないとのこと。我が家のお友達はまさにてんかんを発症して服薬まで進んだパターンだけれど、個人差があるのでうちの長男がどうなるかはわからない。

日々の生活でも特別気にしなければいけないこともないし、普段通り生活していいと言われた。結局のところ、様子を見るしかない。この先が何が起きるかはわからない。

でもこれって、結局、痙攣発作だけの話じゃないよなって思ったりする。この先また発作が起きるかもしれない。起きないかもしれない。起きるとしてもいつ起きるかはわからない。

これって人生なんでもそうだ。

結局、いつ何が起きるかわからない。次の瞬間、その日の夜、明日、一週間後、一ヶ月後、一年後、何が起きてどうなるかなんて誰にもわからない。

また発作が起きないかと心配に思う気持ちはもちろんゼロではないけれど、正直心配していようがいまいが、この先何が起きるかはわからないし、まだ起きていないことに対して今何かしようとしてもどうしようもない。

だから結局、私たちは目の前の今を見ながら、日々生活していくしかないんだ。
それでいいんだ、と思う。

今日、小児科の待合室で待っていながら、いろんな人を見かけた。

我が家の長男と同じくらいの小学生の女の子がランドセルを背負ってお母さんと待合室にいた。これから診察が終わったら学校に行くのだろうか。偉いな。(我が家はもう今日は休ませることにしちゃったので)

ベビーカーを引いたお母さん。座席は斜めではなく横向きになっていて高い位置にあったので、まだ小さい赤ちゃんがそこには入っているのだろう。そのお母さんが歩み寄ってきた看護士さんから「これから2階に行って心電図をとってきてもらって、それからまたここに戻ってきてください」と声をかけられているのを耳にした。小さい赤ちゃんが心電図を撮らなければいけないなんて、何か病気あるのだろうか。お母さんはきっと心配に違いない。お母さんとベビーカーを見ながら、その赤ちゃんとお母さんのために心の中で祈った。

2歳くらいの子どもを連れたご夫婦がいた。待合室に設置されている小さな本棚から絵本を選ぶのを補助している。

お父さんに抱き抱えられた1歳くらいの子どもが、待合室に入ってきたときからずっと泣き喚いている。お父さんはそれを必死になだめようと、スマホで動画を見せてあげたりしている。泣いてても全然大丈夫ですよ。我が家も小さいときはそうでした。小さい子ども。よくわからないところに連れてこられて不安だよね、つまらないよね、おうちに帰りたいよね、泣きたくなるよね、わかるわかる。

他の子どもよりだいぶ背の高い男の子。よほど発育のいい小学生か、恐らく中学生くらいなんじゃないだろうか。なんだか見た目だけだと「小児科」という場所に似つかわしくない彼は、待合室の椅子に座って、膝の上にノートパソコンを乗せて何か作業をしている。近くにはノートと教科書らしきものも置いてある。学校の課題でもやっているのだろうか。病院の待合室に来てまで偉いなぁと感心する。普通にその光景だけ見たら、何の問題もなさそうなただの学生さん。でも今この待合室にいるということは、きっと体のどこかに気がかりなことがあるのだろう。

みんなみんな、今の自分の状態を抱えて、それと向き合いながら、日々生活をしている。今はこうして待合室で診察を待っている。目の前のこと、一つ一つ、やっていく。

診察を終えてしばらく待っていると、お会計の指示があって、総合カウンターで会計をした。

病院の帰りに、コンビニに寄った。お昼を作るのが面倒くさかったので、レトルトのカレーを買った。長男は甘口、私は中辛。家に帰ったら冷凍ご飯のストックがなかったので、新たにご飯を炊いた。ご飯が炊き上がったらカレーを温めて、ご飯にかけた。そこに納豆もプラスする。私はカレーに納豆を添えて食べるのが好きだ。辛さが少しマイルドになるし、喉越しがよくなるのもいい。長男もいつの間にか私のその食べ方を気に入って、彼もカレーを食べるときは納豆は欠かせない。納豆をカレーにかけるのは我が家で私と長男だけだ。

二人で静かな部屋でカレーを食べる。通院もあってお腹が空いていた。

明日からは一応通常通り学校に行かせようと思う。でも明日は学校でプールの授業があるというので、それはさすがに痙攣症状が出た直後に参加させるのはやめようと思う。

そうやって、毎日、今日はどう過ごそう、どう対応しよう、と、一個ずつやっていくしかない。

グッと不安になる時もある。
でも絶望はしていない。

人生いろいろある。一つ一つやっていくしかない。

なるようになるさ。
その都度、目の前のことに真摯に向き合っていく。

きっと大丈夫。
大丈夫だと言える自分でありたい。